鎌倉街道上道を歩く

はじめに

2008年1年をかけて鎌倉街道を実際に歩いた記録です。メモ代わりなので簡単に書いてます。
【2008.12.13】上信国境まで歩き終わりました。

鎌倉街道上道とは

建久三年(1192年)に源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉に幕府が開かれると、有事の際の軍事道路として関東各地に居住していた御家人たちの居館と鎌倉を結ぶ交通路の整備が進められた。これらの道路網のうち何本かの主要幹線があったがこのうち上道は鎌倉と上野(群馬県)とを結び、信濃(長野県)や越後(新潟県)へと通じている。戦国時代ころまで関東地方の主要交通路として利用された。

2008年1月5日 鎌倉~村岡

鶴岡八幡宮の参道の中ほどに流鏑馬道鶴岡八幡宮鶴岡八幡宮と呼ばれる東西の道がある。ここが鎌倉街道の起点とされているのでここから出発し八幡宮西側のバス通りに出る。南へ向かって歩き、小町通りに入る直前に右手へ入っていく。横須賀線の踏切を渡り右折、次の踏切を渡るのが本道だがそのまま線路沿いに歩く。道は扇谷の海蔵寺に向かっていくが途中化粧坂へ向かう道に向かって左折する。化粧坂化粧坂化粧坂を登ると源氏山となる。尾根上を葛原岡神社へ進み、神社手前を左に下りて行く。道なりに進んでいくと住宅地にでるが尾根上をまっすぐ西に進む。深沢中学校北側の坂道を下り切って右折、モノレールの下をくぐってJR大船車両センターの脇を進んでいく。天満宮の前を北上して狭い路地を進み踏切を渡ると柏尾川沿いの道に出る。北側の橋で川を渡り神戸製鋼横の細い道を行く。すぐに東海道線に突き当たるが西側に迂回してアンダーパスで線路をくぐると目前に武田薬品の工場がある。さらに西へ行き村岡東二丁目交差点を右折すると道が登り始める。坂を登りきってしばらく進むと渡内日枝神社へ行きつくが村岡城址を行き過ぎていたので引き返す。今まで登ってきた道から西側に1ブロック入ったところに村岡城址公園がある。そのまま武田薬品前のバス停まで向かい、大船行きのバスに乗る。

2008年1月19日 湘南町屋~藤沢

湘南州崎古戦場碑州崎古戦場碑モノレールの湘南町屋駅で下車し、江ノ島方面に向かってしばらく歩くと州崎古戦場碑が埋もれるようにある。さらに進み前回歩いたとおりJR大船車両センター横を過ぎ柏尾川に出て、今度は南側の橋を渡る。西にしばらく進むと御霊神社御霊神社裏の道御霊神社裏の道があり、神社北側に鎌倉街道上の道の案内がある道が通っていた。東海道線を越え、村岡東二丁目交差点に出て前回と同じ道に出る。日枝神社の交差点で左折してしばらく進むと渡内交差点で玉縄から来るバス通りに出る。これを道なりに進むと旧東海道に突き当たる。右手前方に遊行寺と呼ばれる清浄光寺があるので今回はここまでとして藤沢駅まで歩く。

2008年2月10日 藤沢~下飯田

藤沢駅から遊行寺まで歩く。八坂神社の鳥居八坂神社の鳥居前回歩いた道を戻っていくが柄沢橋を渡ってしばらくして左折する。間もなく前方に柄沢神社があり、西側の道が街道跡とされているが工事中で通れない。西側の滝川沿いの道まで出て北上し、右カーブを切る手前で脇道にそれて滝川を渡る。北西へ向かい鉄砲宿の交差点まで出て右折、国道1号線の藤沢バイパス入口まで行く。バイパスを歩道橋で渡り俣野へ向かっていく。途中道端に鳥居だけ単独で立っている。少々離れた所に八坂神社がある。道しるべと石塔道しるべと石塔八坂神社を過ぎて境川沿いを北上する。右手の山の上にホテルエンパイア跡、現在は横浜薬科大の図書館棟を見つつ俣野町へ入っていく。細い道をさらに北上していき、天王森を通過すると下飯田町に入っていく。右手に琴平神社を見つつ北上すると横浜市営地下鉄の高架線の手前に小公園があり、富士塚城跡の碑が立っている。高架をくぐり右手に入っていくと下飯田左馬神社に着く。ここから相鉄のゆめが丘駅が近い。

2008年3月1日 下飯田~町田

下飯田神社脇の石塔下飯田神社脇の石塔下飯田神社から歩く。長屋門を持つ古い農家沿いの旧道を行くと長後街道へ出る。街道を越えると団地の中に道が無くなるが飯田神社の前から道の続きがある。さらに北上しいちょう団地へ抜け、小川沿いを進む。右手高台の上に本興寺がある。東海道新幹線をくぐりしばらく進むと右手に江戸柳明古地図江戸柳明古地図江戸柳明古地図の看板が立っている。その北に柳明神社があり、近くに道しるべがある。神奈中バスの車庫の横を進むと相沢川沿いに出る。雑木林の中を歩き、下瀬谷小学校先で北西の道に折れる。中原街道を渡り北新地内を進む。左馬神社と西福寺を過ぎてほどなく相鉄本線を越えると上瀬谷に入っていく。中屋敷と呼ばれる辺りは明治頃に養蚕で栄えたらしく、上瀬谷銀行跡などが往時の繁栄を伝えている。大きな農家の間を通り地蔵堂からバス道に出て、そのまま北上すると妙光寺がある。寺の北の八幡神社辺りから街道は二手にわかれるが西側の道を進む。東名高速道路をくぐり、すぐに右側の道に入っていく。国道246号線に出て東京女学館大学の東側で国道を離れる。鶴間公園の西側に沿って歩き、東急田園都市線を越える。国道16号線を渡って町谷交差点に向かう。一旦道が途切れるが西方の杉山神社前を通る道が旧街道であるのでまっすぐ北上する。次第に道は狭くなり、町田天満宮裏へ行きついた。旧街道は天満宮東側を通っていたと思われるが横浜線の線路があり通れない。迂回して小田急線の町田駅まで歩く。

2008年3月15日 上瀬谷~本町田

小田急線の鶴間駅から瀬谷行きのバスに乗り、上瀬谷小学校入口で降りる。上瀬谷小学校へ登る坂は牢場坂牢場坂近くの石塔牢場坂近くの石塔と呼ばれている。八幡神社の東側を登った一帯が瀬谷原瀬谷原瀬谷原。ここから小川の谷頭まで北北東に直線に延びる旧街道を行く。これは鎌倉時代に開かれた新道で、小川沿いに恩田川へ抜け本町田に向かう道である。南大谷天神社の梅南大谷天神社の梅東名高速道路を越えると細い道が一直線に伸びている。国道246号線を越えたところに大塚がある。さらに国道16号線を渡り、東急線を越えて進む。道なりに進むと都道へ出る。すぐ北の小川交差点を右折して坂を下ると小川の流域に出る。排水路然とした小川沿いに道なりに進むと右手に福寿院、さらに進んだ右奥に杉山神社がある。間もなく交差する道は町谷から来る道で、古代官道のあとと言う。交差点で右折し、すぐ斜め左前に入っていく。しばらく歩くと横浜線の築堤に突き当たるので東側の都道へ迂回して町田市立総合体育館へ向かう。そこから恩田川沿いに進み、小さな橋を渡る。成瀬高校の横を通りバス通りを横切る細い道を行く。成瀬海道に出て一本北側の細い道が旧街道となる。道なりに進んでいくと斜面に張り付くように金毘羅神社があり、その先で道は北へ向きを変える。南大谷小学校横を通り大谷原交差点で左折すると二車線の道に出る。道なりに進み小田急線を越えた右手に南大谷天神社がある。元の道に戻って道なりに進み、本町田団地中央交差点先で斜め右の細道に出てそのまままっすぐに進むと養運寺に着く。寺前の道は本町田の宿場という。菅原神社前からバスで町田駅に向かった。

2008年4月29日 町田~府中本町

七国山鎌倉街道の碑七国山鎌倉街道の碑七国山の道七国山の道小野路の古道小野路の古道分倍河原古戦場碑分倍河原古戦場碑

2008年5月4日 府中本町~新所沢

武蔵国分寺跡武蔵国分寺跡

2008年6月7日 新所沢~狭山市

鎌倉街道案内板鎌倉街道案内板

2008年6月22日 八坂~小手指

千体地蔵堂千体地蔵堂小手指原の道小手指原の道

2008年8月30日 狭山市~西大家

清水八幡清水八幡信濃坂信濃坂霞野神社霞野神社

2008年9月13日 西大家~武蔵嵐山

毛呂山町の街道遺跡毛呂山町の街道遺跡大類の旧街道大類の旧街道延慶の板碑延慶の板碑

2008年9月14日 武蔵嵐山~小前田

街道端の石塔街道端の石塔お茶々の井戸お茶々の井戸

2008年9月23日 男衾~武川/小前田~用土

畠山重忠像畠山重忠像

2008年10月4日 用土~丹荘

今回は用土駅から出発。埼玉県と群馬県境まで目指して歩く。県道と合流ししばらくすると野中交差点で254号線が左から曲がってくる。すぐ西のセブンイレブン横からわき道にそれ、国道の1本わきの道を道なりにすすんで駒衣、広木と進んでいく。途中𤭖□(みか)神社があり、𤭖□(みか)神社𤭖□(みか)神社国道沿いの街道案内板国道沿いの街道案内板その北側に大きな池がある。池の端でしばし休息し、児玉町に向かって歩くが途中国道西側へ越えたところが区画整理中のようで大規模に道が消えかかっている。見馴川橋を渡るため国道に戻るがそこに一里塚[photo:広木の一里塚]広木の一里塚がある。これは江戸時代のものであるが、旧街道の面影は工事で消えつつあり将来に旧跡を残すのはこれだけになりそうである。さらに児玉町に入りコンクリ工場にそって川を遡上し、途中から児玉町内に向かっていく。途中龍體稲荷神社横から児玉駅に向かい、八高線沿いに歩いて行くがところどころ工事中でありなかなか進まない。国道254号線長浜町北交差点に出る直前で左に進み、古い石橋を渡って八高線沿いに進んでいく。
 神川町役場を越えてさらに西に進み神流川の土手に到達したが、川岸に降りる道もなさそうである。道はここから対岸に渡っていくが周囲に橋は無いことは事前に下調べ済みで、直近の橋となると上流側は4km川沿いに進んで国道462号線の橋、下流側では3km先の国道254号線藤武橋しかない。『旧鎌倉街道 探索の旅 上道編』には1km北の八高線の鉄橋の横にある通路を通る、とあるが出版当時の昭和50年代とは違い諸事細かい昨今のこと、JRに問い合わせるまでも無く通れまいとみていたので当初の予定通り丹荘駅まで戻り、次回は群馬藤岡から対岸に出て歩くこととした。

2008年10月12日 群馬藤岡~高崎

今回は鉄道路線から完全に離れるためかなりの長距離となる。八高線の群馬藤岡駅から前回到達した神流川の対岸を目指してまず南下する。途中埴輪窯跡や相撲辻のある土師神社を通り、道中郷という集落に出る。そこから川岸に向かうと神流川に突き当たったので今回はここからスタートとする。神流川神流川西に向かいひとまず美九里東小学校を目指して歩く。途中この地で殺害された葵御前を祀ったという葵八幡という小さな祠がある。葵御前は朝日将軍と呼ばれた源義仲の妾……と言えば戦場で長刀を振るった巴御前が有名だが、きちんと本妻が居て(しかも地元の木曽と京都と両方居たらしい)さらに愛人囲ってと頼朝とは大違いだが義仲はえらくモテたのであろうか。などと埒も無いことを思う。上道沿いには帯刀先生源義賢しかり、源義高しかり、義仲に縁のある人物がよく登場するが、大蔵(嵐山町)に館を構え多胡(高崎市)に所領を持っていた源義賢の関係であろうか。道は美九里東小学校で途切れるが小学校正門前には鎌倉街道の案内板があった。ここからさらに西方の県道を渡り、進んでいくが前方の道は他人の家の中に入って行くように見える。地図上は道があるのだが余計な厄介も避けたいし、犬が吠えてるし迂回することにして南側の道を通る。龍田寺の門前から自動車教習所北側の街道に復帰して道なりに進んでいく。
 茂木歯科医院横から鮎川公会堂に向かって歩くと鮎川にぶつかって道は途切れる。上流側に橋があるので迂回し、緑埜地区へでるが今度は田んぼで道が無くなっている。県道に迂回し上信越自動車道をくぐってすぐ北北西の小道に向かう。国道を渡って藤岡市白石、ここはかの吉良上野介の領地で彼はこの地にあった陣屋で生まれたという。その陣屋跡を過ぎさらに道なりに向かうと県道174号にぶつかるのがそのまま渡って行くと三ツ木城跡三ツ木城横切通しの道三ツ木城横切通しの道に出る。ここから鏑川まで降り、松ノ木橋を渡ると吉井町に入る。そこから上信電鉄の西山名駅を目指して歩き、線路を渡って坂を登っていく。途中上毛三碑の山上碑があるので立ち寄りつつ山名八幡に向かい東へ進んでいく。山名八幡は本殿の裏側からも参拝できる珍しい形式になっているが、南側を通った街道が尾根筋の裏側(北側)を通るようになったためであろうか。
 山名駅から県道30号に出て、高崎商科大横に折れて一本松橋を渡り佐野町を北上する。途中「鉢の木」で知られる佐野常世ゆかりの常世神社常世神社常世神社がある。新幹線と国道18号線をかいくぐり城南小学校から北に向かって高崎に向かう。が、歩く前週に鎌倉街道武者行列なる催しがあったようだ。見られず残念ではあるがひとまず県道25号に出たところで高崎駅に向かい今回の歩きを終了した。

2008年11月8日 高崎~安中

高崎駅西口より前回終了地点へ戻り続きを歩く。鎌倉時代の和田氏屋敷の址に建てられたという高崎城跡を過ぎ、ここからは旧中山道旧中山道案内板旧中山道案内板を信濃国境である碓氷峠へ向かうこととする。高崎神社先で左折し君が代橋で烏川を渡り、18号バイパスから一旦外れて県道26号線を西に歩いて行く。途中川の南岸にある少林寺に立ち寄ったがここは通称達磨寺達磨寺(少林寺)達磨寺(少林寺)という。さらに18号線を西に向かい、板鼻下宿から国道を離れ板鼻宿に入っていく。板鼻はかつて江戸幕府の代官所があったというが往時の繁栄は潜んでいるようで人気がほとんどない。鷹ノ巣橋から18号線に出、安中駅前で右に折れて一旦国道と合流し、碓氷川を渡ってから県道にそれる。しばらく歩くと右手に旧碓氷郡役所の案内があり、ひとまずそこまで歩いて今回は終了とした。乗合タクシーで安中駅まで戻る。

2008年11月22日 安中~横川

安中駅からバスで市役所まで行き、少し戻ると旧碓氷郡役所旧碓氷郡役所旧碓氷郡役所がある。今回はここから歩くこととした。消防署から左手に入っていくと新島襄の生家がある。元の道に戻り安中の宿場を抜け、国道18号線を渡って旧道を歩いて行く。しばらくすると杉並木の中を歩くがあまり長くはない。県道を歩き続け国道18号線に合流するがふたたび左手の旧道に入ると松井田の宿場となる。宿場を通り抜け、信越線を越えると右手に五料茶屋跡がある。妙義山を望む妙義山を望む左手に妙義山を見ながら歩いて行くが途中で右に折れて信越線を渡り横川駅に向かう。

2008年12月13日 横川~軽井沢

朝8時、信越線の横川駅から歩く。すぐ右手に碓氷関所跡があるが、これは江戸時代の遺構である。国道18号線に一旦出てから国道を離れ松井田西中学校の北側の坂を登る。ふたたび国道18号線旧道へ戻り、坂を登っていくと両側に坂本宿坂本宿坂本宿の屋並みが広がっているが朝早いからか人気が少ない。浄水場に突きあたり本来は左の道に入るが良く見えないため国道を回っていく。登り切ったあたりで廃バス停の東屋が現れ、その西側から旧中山道に入っていく。しばらくはV字谷の底を登るが石が転がっていて非常に歩きにくい。中仙道旧道中仙道旧道登りきると柱状節理があり、さらに子持山の稜線へと登っていく。途中、覗と呼ばれる坂本宿俯瞰坂本宿俯瞰坂本宿を見下ろせる場所がある。刎石茶屋跡あたりで途中休憩する。ここも碓氷関所跡であるがこちらは奈良時代の物であるようだ。ひたすら稜線上を歩いて行くが人ひとりとして通らない。途中めがね橋に降りる道や日本初の交番跡などを通り抜けると道がやや広くなってくる。かつて別荘地を開いたということだが今は廃屋ばかりとなってしまっている。別荘地を越えると陣馬が原、かつて武田と上杉が合戦したという。ここで和宮が江戸に下向した際に開かれた和宮道があるが、旧道は左手に当たるのでそちらを行く。小川をわたるとひたすら登るのだが藪に覆われて道が定かでない。悪戦苦闘するうちに頂上につき、しばらく軽井沢方面へ向かうと熊野皇大神社熊野皇大神社熊野皇大神社がある。上信国境の上に立地しているという変わった作りであるが信濃国までたどり着いたのでここで完了とした。

しかし時期は12月中旬、11月の23日以後は茶屋も開いておらずバスも走っていない。やむを得ず旧軽井沢まで徒歩で下り、そのまま軽井沢駅まで向かった。駅に着いたのはちょうど昼頃となった(了)。